中学校の3年間、不良たちの玩具にされ彼らの前で放尿させられていた

お漏らし体験談

中学生のときに私は、不良たちの性奴隷でした。
中学3年の1学期には剃刀で陰毛をすべて剃られて下着を着けずに登校するよう命じられた。
毎朝、校舎2階の男子トイレに呼び出され、下着を着けていないか確認をされていた。


リーダー格の少年が「ノーパンチェック」と告げると私は自らジャージを下げて下半身を露出させ、下着を着けてないことを証明させられていました。


中3の2学期には当時流行っていた、たれぱんだの絵を私の臀部にマジックで描いて皆がいる教室で尻を振らせて踊らせてました。


「落としたら焼きを入れるぞ」と脅し、火のついたタバコを被害少女の肛門に挿されました。
肛門に力を入れてタバコを動かすように命じると、たれぱんだがタバコを咥えているように見えて加害少年らは腹を抱えて笑い転げていた。


それに私は自由な排泄を禁止されていた。不良たちの見ているところで裸になってオシッコしていました。また、浣腸器具を使って野外での脱糞を強要されました。私に命令するときは、「お前」「おい」などと呼び捨てにしていましました。


私は不良たちから、日常的に暴力を振るわれていました。
殴る蹴るなどは日常茶飯事でした。
不良たちは私が反抗的な態度をとるたびに、制裁と称して暴行を加えていました。


私は毎日のように彼らに殴られたり、蹴られたりしてきました。
学校では授業中に椅子の下に手を入れられスカートの中へ手を入れられたり、体操服の中に腕を入れられ胸や乳首を触られることもありました。


不良たちに呼び出されたときは体育倉庫や女子更衣室などで強姦されることもありました。
ある夏の日、プールの授業のあと不良たちが私の水泳用の水着を持ってきて、「これ着ろよ」と言ってきました。


私は拒否すると彼らは怒り出し、「早くしろ!」と言いながら何度も私を蹴り上げてきた。
仕方なくそれを着たのですが、不良たちは「似合ってるぜ」とか言ってからかうだけで何もしてこなかった。


放課後も彼らの家に連れていかれ、全裸になるように言われました。そして、そのまま外に出て歩いたりさせられたりした。
その後、彼らが満足するまで性行為を強いられました。


さらに、学校の帰り道でも待ち伏せされて襲われることがありました。
ある日、いつも通り一人で帰っていると後ろから自転車に乗った彼らが現れ、逃げようとするところを捕まり無理矢理犯されてしまいました。


その後も、何度か同じようなことがありました。
私が他の生徒と話をしているときなどに、突然背後に現れて襲ってくることもあった。
あるときは人気のないところに連れて行かれ、そこで強姦された。


またあるときは、教室にいるときにいきなり現れてレイプされたりした。
またあるときは、部活の練習をしている最中に突然やって来て、部室で着替えていたところを襲われた。
またあるときは、帰宅途中の路上で待ち伏せされていたこともある。
また、学校で用務員の男性に見つかりそうになったこともあります。


またあるときは、校門を出た直後に待ち構えていて集団で襲いかかってきたこともあった。
また、修学旅行のときも夜中の旅館内で襲われたことがある。
不良たちの性欲処理として、さまざまなことをさせられてきました。


不良グループ以外の少年たちにも、私の身体を差し出すように強制されました。
最初は嫌だったけど、だんだん抵抗する気力もなくなっていきました。
ある日、体育用具室に呼ばれた私は、そこで不良たちに輪姦されました。


不良の一人に口で奉仕するように命じられました。
私は言うとおりにしたけれど、途中で吐きそうになりました。


不良たちはそんなことはお構いなしに私の顔を押さえつけ、喉の奥まで突っ込んでくるような感じだったので苦しかったです。


また、別の不良には自分で脚を大きく広げるように命令されました。
私は恥ずかしくて仕方がなかったけど、言われた通りにしました。
それから、不良たちに代わる代わる挿入されました。
最後は膣内に射精されました。


また、不良たちは私にパイズリさせるのが好きでした。
私は巨乳なので、よく彼らにパイズリさせられました。


初めてしたときは、おっぱいを持ち上げるようにして挟むように命じられて戸惑いました。
でも、今では慣れてしまったのでスムーズに出来るようになりました。
また、不良たちは私にフェラチオさせることが好きだった。


私は、彼らのペニスを口に含んで舌を使って舐め回したり吸ったりしました。
また、ときには手で握って上下に動かしたりもしていました。


あるときは、不良の友達に頼まれて自分の目の前で自慰行為をさせられました。
また、不良たちは私に顔射するのが好きなようで、いつも顔面に精液をかけられていました。
私は、こんな生活が続くなら死んでしまいたいと思っていました。


しかし、私が死んだら両親が悲しむと思うと死ねませんでした。
不良たちのいじめはどんどんエスカレートしていきました。
ある日、私は不良たちの言いなりになるのがイヤで逆らうと、彼らの前で全裸になって踊るよう命令されました。


拒否したところ、「親に言って退学にするぞ」と言われたため、仕方なく従いました。
命令されたときは本当に辛かった。
私は、不良たちが見ている前でストリップダンスをさせられました。


音楽に合わせて踊ったあと、股間を見せつけるようにして腰を振りました。
その日は、不良たちに徹底的に犯されました。
また、不良たちは私に様々なポーズをとらせ写真を撮っていました。


私は言われるままに、いろいろな格好をしていました。
不良たちは、私に「もっと脚を広げろ」「尻を突き出せ」「まんこ見せろ」などと命令していました。私は彼らの命令に逆らえず、命令されるがままの格好をしていまいた。


私は、彼らによって毎日のように辱められていました。
不良たちからは、「ノーパン女」とか、「変態」とか、「淫乱な雌豚」、「オナニー大好き娘」などと呼ばれました。

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